【歴史上の偉人とSDGs】直江兼続とSDGs

直江兼続についての知識が弱いのでまだ詳細に書けない、これから深めていくための備忘録用メモとして。

直江兼続の現在の知識。(間違っている可能性高い、あとで調べる)上杉謙信の家来、上越から米沢藩に入城しかぶとやま?を指標に城下町を形成した。米沢に入る四方の道に対し城下町を囲むよう寺町を配置、敵陣の攻撃の勢いを減退させる変形十字路、鬼門や恵方を意識した神社配置、などその町並みは現在にも残っている。

2度の大火を経験した後もその町並みをもとに復興したのは、それが早く復興しやすかったのはもちろん、まちのインフラ整備としても理にかなっていたからだと思う。戦国時代からの町並みが現代にも息づいているという状況は、当時のまちづくりが紛れもなく持続可能なまちづくりであったと言える。米沢市街地を流れる川はあまり多くない(3本?4本?)が、川が近くにないエリアにも水路が張り巡らされており、治水・利水面でも生活のしやすさが考えられている。当時は生活用水としても活用されていただろうし、現在も雪捨てに必要な存在である。この水路整備がいつできたものかは要調査。

米沢市含む置賜地方は(山形県全体でみても)、「雪は多いが災害は少ない」と言われている。最近は気候変動の影響で台風が上陸したり、川西高畠の一部で冠水被害もあったりしたが、大きな災害は53年前の羽越水害ぐらいでは。災害が少ない理由として、比較的標高の高い山に囲まれている地理上の特徴もあるが、災害が起きにくいまちづくりができているとも言える。

将来にわたって持続可能なまちを考え整備すること、これは現代のSDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」の概念に完全に一致する。直江兼続の行ったまちづくりはまさしく持続可能な開発であったと言えるし、この考え方は現代にも活かせる要素があると思う。残念ながら、当時の生活様式と現代の生活様式はあまりにも激変してきており(たとえば、牛馬徒歩移動から車移動になったことで道幅を広げる必要が出てきた、変形十字路が交通事故のもとになるようになった、など)現在の町並みは持続不能になるかもしれない。何が課題になっていて、どう変革すべきか、直江兼続が行ったまち整備の要点をおさえて検討したい。便利さだけを追求すると短期的には良くても、長期的に良くない場合がある。直江兼続の行ったこととSDGsの関連、これからのまちづくりの課題検討、もっと調査と勉強が必要。

誰一人取り残さずに、4方良し(自分よし、お客よし、社会よし、未来よし)の米沢市、置賜地域、山形県、日本のあり方を考えたい。

つづく。

何年か前にNHK大河ドラマのテーマになり、妻夫木聡が演じた直江兼続。これ読んで勉強しよう。

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